底が見えない濁った水に粉末を入れてかき回すだけで、人間が飲んでも大丈夫な状態にまで浄化する粉末。この水質浄化剤を生産・販売しているのが日本ポリグル(株)だ。
「世界中の人々が安心して生水を飲めるようにすること」を使命として掲げ、売上高約10億円・従業員数約30名の中小企業ながらも40か国以上に製品を出荷し、海外売上高比率も30%を超えている。また、2013年には日本イノベーター大賞・優秀賞を受賞しBOPビジネスに取り組む多くの企業から注目を集めている。
本ポリグルはなぜ水ビジネスに取り組んだのだろうか。なぜ新興国の貧困層を対象にビジネスをしているのだろうか。小田兼利会長の半生も交えながら紹介していく。
■水ビジネス誕生のきっかけは95年の阪神大震災
日本ポリグル会長の小田氏は神戸市の実家で阪神大震災に遭い、地震後に水が使えなくなってしまった。飲料水を求めて長い行列に並んだ時、ふと公園の池が目に入り「この水を飲めたらなあ」と考えたことが水ビジネスの模索のきっかけとなった。しかし、小田氏はエンジニアとしての知識はあったが水に関してはほとんど素人だったため、当初は来る日も来る日も試行錯誤を重ねた。
持ち前の好奇心であきらめず研究を続けること6年、ついに商品化にこぎ着けることが出来た。小田氏は完成した時「これで水をきれいにして一儲けできるぞ」と考え、日本ポリグル株式会社を創業し、すぐに商品の売り込みを開始した。
ところが、商品は全く売れなかった。国や自治体に話をしても、河川や下水道の公共工事を扱うところでは既存の技術が優先され、実績のない小さい会社は相手にされなかったのだ。
■予期せぬことがきっかけで訪れた新興国でのビジネスチャンス
当初の目論見が外れて途方にくれていた時、思わぬ話が転がり込んできた。
04年のスマトラ沖地震が起きた時のことだ。たまたま会社に在籍していたタイ人社員が縁となり、タイ政府から商品を提供してほしいと要請があったのだ。小田氏はすぐに要請に応じて商品を送ったところ現地の人からすぐに感謝が寄せられた。今ある浄水装置は電気が必要な上に、使い方も複雑で困り果てていた中、ポリグルの粉末はわずか30分で飲料水を大量に生み出し、飲めたことに感謝したのだ。小田氏は「俺たちの仕事はやりたいことはこういうものなんじゃないか」と手応えを得た。
また、07年バングラデシュのサイクロンでは、日本ポリグルを知ったダッカの国際ライオンズクラブから援助要請を受けた。今度は小田氏自ら最も被害のひどい村に長い時間をかけて出向き100キロ分を届けた。商品を届けた先の村の子どもたちはきれいな水を奪い合って飲み、お年寄りは「長生きしてよかった」と言った。
これらの出来事がきっかけに途上国に需要があると知った小田氏は、新興国を中心としたビジネスを展開することになったのだ。
■日本と同じやり方では通用しないBOPビジネス
新興国で貧困層を対象にビジネスを初めたのはいいが、すぐに順調にビジネスが進んだわけではない。最初、水を多く人に届けるためには簡易水道を作ってあげると便利だろうと思い設置した際には、金属の蛇口の部分まで持ち去られてしまうなど様々な課題にぶつかった。きちんと多く人に安全な水届けられるか頭を悩ませる日々が続いた。
そんな時、商品を提供した家族の女性が話しかけてきた。「綺麗になった水を飲んでから病気しなくなったし、肌も綺麗になった。近所の家族も欲しがっているので売らせてほしい」とのお願いだった。真剣な顔でお願いをする現地の人と対話を重ねるうち、女性の販売組織が自発的に立ち上がった。
最初は8名の女性で始まった活動だったが、小田氏は活動を続けていく中で「対面販売を行うことが現地のビジネスのやり方に合っている」と感じるようになった。そこで商品を売る女性たちを「ポリグルレディ」と名づけ活動を推進。結果、現在では80名まで組織を拡大している。「現地ではその場で考え行動するしかない」という貴重な経験となった。
その後、世帯と契約して浄水タンクの水を定期的に届ける「ポリグルボーイ」のビジネスも新たに誕生し、現地での雇用を生み出すことに貢献している。
■社会貢献ではなくビジネス
日本ポリグルの商品は誰でも簡単に扱え、目に見えて効果のあるものなので、ある時新興国の起業家から商談がもちかけられた。「これは良いビジネスになる。あなたも儲けられる」と。一方でその話を近くで聞いたある村の村長は「そんなことをしたら我々に手の届かない値段になってしまう。儲けは少なくなるかもしれないが、我々と直接ビジネスしてくれないか」とお願いにきた。
儲けのことを考えれば前者の選んだ方が良い状況だが、小田氏は迷いなく村長と仕事をすることを選んだ。切なく懇願する村長の顔を見たら断れないというのがその理由だ。
このようなケースは他の地域でもあるが、途上国の人々から「無償で提供してほしい」と言われてもそれは受け付けない。地域ごとにどれくらいなら払えるのかを話し合い値段を決定する。小田氏は言う。「社会貢献なんて言われるアレルギーがでる。これはビジネスなんだ。社会貢献ではいつか息切れしてしまう」と。
■様々な人々と対話を重ねる大切さ
小田氏は過去のインタビューにおいて以下のような発言をしている。
「10年前は目の色変えて儲かりたいと思っていた。ところが今では世界から貧困をなくそうと当たり前に口にするようになった。人間変わるもんですよ。」
小田氏について調べていると何度も新興国の人の困った表情や真剣な顔など、現地の人の顔のエピソードが出てくるのが印象的である。これまで考えたことも話したこともなかった新興国の人々と対話するようになったことが、変化のひとつのきっかけになったのではないかと想像する。
BOPビジネスに取り組み上で沢山の統計データを集めて読み込んだり、会議室で議論することにももちろん意味はある。ただ、頭の中で悩むより現地に足を運んで対話してみることで考えや理解が進むこともあるのではないだろうか。