【講演録】「コロナによってステークホルダー主義はどこに向かうのか:4/4」渋澤健氏、銭谷美幸氏他(第15回GEI有志会)

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コロナ禍に対して日本企業はどう貢献すべきか?

黒田:最後の論点に移る。東日本大震災のときと比べて、あるいは銭谷さんがおっしゃっていたように今の欧米企業と比べて、コロナ危機に対する日本企業の貢献が少ないように見える。東日本大震災のときは、各社が本業を生かして被災者支援や東北復興において活躍した。事業で貢献しなくとも、日本の横並び主義も手伝って、一斉に各社が1000万円なり数千万円なりの寄付をした。日本のコロナの被害はさほど大きくないという理由があるのかもしれないが、世界ではこれだけの被害が出ている中、グローバルに商売している日本企業として、渋澤さんの言葉を借りればMeだけが良くてよいのか。コロナ禍に対する日本企業の貢献の在り方について、どう考えるか。

銭谷:東日本大震災のときは、被害がある程度“地域限定”であったことから、被災地域以外からの支援が可能であった。ところが、今回は日本全国皆が大変な状況に陥っており、「他の人のことをかまっている場合ではない」という声を聴く。自分が子供の頃、あるいは親の世代の日本には、困っているときほど助け合って頑張ろうという雰囲気があったのに、今それがなくなってしまったのが不思議であり残念でもある。昔からあった“三方良し“の概念は、今や口で言うだけの人が少なくない。

しかし、若い世代はそうではない。自分のスキルを活用して大企業を退職してまで支援活動に励む人が多くいる。また、日本企業は海外と比べ、経営層の年齢層が高いので、もっと若い世代の意見を取り入れるとよいのではないか。

最近、投資家の間で話題になった企業の一例として、4月9日に決算説明会を行ったIT関連企業のSHIFT社(マザーズ上場 3697)を紹介する。その説明会資料では、最初にコロナ対応に関する説明があり、その後、前年から取り組んでいる人財関連の取り組みに関して説明がある。IT企業では如何に良いエンジニアを採用できるか、定着させるかが鍵であり、その点で説明を見る限りは成功しており、事業成績も好調の様子であった。

この企業に限らず、企業にとっては、良い人材を確保し、リテンションするのが最も重要なことだと考えている。そして、今回、誰よりも従業員が自社のコロナ対応を気にして見ているように思える。対応できていない企業には今後ボディブローのように効いてくると考える。

渋澤:日本企業による貢献ならびに今後の繁栄のためには、絶対使ってはいけない3つの言葉があると考えている。その3つとは、「前例がない」、「組織に通りません」、「誰が責任取るんだ」。今回のコロナに貢献できていないのも、この3つの言葉に阻まれているからではないか。

また、日本企業の中でも、他社に先駆け自社のテナントに家賃免除をした丸井のような会社もある。丸井では、元来、経営トップがSDGsやファイナンシャル・インクルージョン、共創という言葉をよく使っているが、言うだけでなく本当に考えて実行しているのがよくわかり、感激した。ステークホルダー資本主義を信じ、実現にコミットしているトップがいるどうかで差が出る。

黒田:参加者からのチャットボックスの書き込みを代読する。「今の日本企業は外向けでなく社内のことが対応できていない。従業員の時給制の補正をしないとかサプライチェーン上の取引先が潰れるのを放置するといったことが起きている。」

銭谷:先ほども申し上げたとおり、足元のことができていないと従業員や取引先からの会社への信頼を失うことになる。共創するにも、お互いの信頼感が必要である。信頼構築には情報開示が大事だ。従業員に対して、会社も情報をできるだけ開示し、危機感を共有し、経営者が色々と考えていることがわかれば、「そういうことなら我慢しよう、協力しよう」と落としどころが見つかるはずである。たとえば一時解雇したとしても、後日再雇用を約束するといった方法もある。その情報共有の仕方が乱暴になってしまっているケースがあることに危惧する。

渋澤:自分は日本の大企業に勤めたことがないので実体験がないが、先ほど銭谷さんがおっしゃった村社会文化が日本の会社の中にもあると思う。1つの会社の中でも、部署ごとに村ができていて、目の前の仕事は最適化するが、他の村(部署)のことは見ない。コロナ禍でもステークホルダー資本主義を貫いている会社とそうでない会社の違いは、丸井の例で見たようにトップの存在が大きいが、そのトップの想いが会社に浸透しないといけない。そこではインナーコミュニケーションが鍵である。社内で他部署と対話し協力することを促進する企業文化や社内制度を作っていくことが大事である。

丸井でもう1つ印象深いことを紹介する。自分は他の投信会社の経営者と共に、丸井での中期経営計画会議に参加したことがある。普通であれば、そのような経営会議の場では、経営陣だけが参加するものだろうが、丸井では300名が参加できる会場が用意された。誰でも参加可能にしようとしたら希望者が300名以上になってしまったので、事前に、参加希望者に経営計画に関するテーマに沿ってレポートを提出することを求め、そこから参加者を選抜したそうだ。その結果、ある店長は参加できず、部下の店員ができたということが生じた。このように会社の状況の共有と対話の仕組みを構築することは大事だと思う。

さらに驚いたのは、会議が終わって1,2時間たったときに会場を覗いたら、まだ会場に残り、自分の仕事とは直接関係ない新規事業についてわいわいがやがやと話し続けている社員たちがいたことである。これはすごいと。一度は地獄を見た青井社長が村社会を打破する努力を重ねて、進化した企業の姿がそこにあるのだろう。

黒田:何においてもトップのリーダーシップが大事とよくいわれるが、社員からも自由な発想と主体的な動きが出てくるようなリーダーシップがもっと大事であり、そのためにインナーコミュニケーションが鍵だと理解した。

参加者1:考えれば考えるほど、コロナ後は元に戻るのではないかと思うに至った。先ほど出ていたように、日本は原爆を2回落とされて、福島原発の事故があってもなお、結局何も変わっていない。それと同じように、コロナでも何も変わらないのではないかと暗澹たる気持ちでいる。コロナも災害も自然現象である。そして人間は動物であり自然現象の一部である。ところが、今の経済社会では、人は死なないし、風邪もひかないし、満員電車に詰め込まれても出勤するし、という前提で、人間を動物として扱っていない。人間は自然のものではないというフィクションをどこかでリセットしないと、自然のものに対応するのは無理ではないか。とても根が深い問題で、リーマンショックやコロナショックくらいではびくともしないのでは。大きなところから考えないと経済社会は変わらないと考えている。

参加者2:環境問題をやっている人間から言わせると、コロナはどういう問題かと言えば、人間の活動がここまで拡がってきて、様々な動物や生物がいる領域にどんどんと出てきてしまいインターフェースが広がったところで、未知のウイルスに接したということ。つまり、自然に対する人間の活動自体が大問題であり、そこを解決しない限り、いくらワクチンを作っても、次のウイルスが出てきてもぐら叩きになるだけという議論をする人もいる。コロナを一過性のものと捉え、ワクチンができればもう終わりと捉えるのであれば、ステークホルダー資本主義に戻れるのかもしれない。しかし、自分の直感で考えると、今回のことは、人間活動が大きくなりすぎて、頭にきた地球が好き勝手やっていた人間の動きを止めたということだと思う。「いい加減にしろ」という地球からのメッセージ。このメッセージを受け止めなければ、次にはもっと地球に怒られるのではないか。

ある調査によると、地球において重量ベースで、哺乳量のうち人間は32%、家畜60%、野生動物はたった4%。そこまで人間がのさばっている。これだけバランスの悪いことをやっている人間への警告である。コロナをそのような問題だと捉えるか、一過性のことだと思うか、経営者の捉え方にはすごく幅があり、今後様々な動きが出てくると思う。そうした動きをうまくコーディネートし、サステナビリティに向かわせる仕掛け、ロジックといった努力が必要になってくる。お二人のパネリストには投資家として企業を説得してもらうことを期待している。

黒田:ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」によると、紀元前1千年以上前にホモサピエンスは農耕社会になり、農耕社会は多くの生態系を破壊し、人間社会にとっても良くないことが起きるようになったという。では、紀元前何千年前かの狩猟民族に戻らなくてはならないのか。そういうわけにいかないとなると、今の社会の中で環境破壊を止めるということがせいぜいできることなのだろうか。

参加者2:今までやってきたことを反省し、どうしたらよいかを考えろということだと思う。もちろん経済が落ち込むと苦しむ人がいて、人間社会の都合の中だけでも問題がある。政治家は人間社会の都合だけを気にしがちだが、人間と自然社会とのことも考えねばならない。

渋澤:人類は地球にとってがん細胞。他の細胞には構いなしで成長していく。感染症は起こるのは人類の冒涜といえる。たとえば、鳥インフルエンザは豚から人にうつっていった。なぜ鳥と豚と人間が同じところにいるかといえば、それは人間の仕業である。こうした問題に気づく人と気づかない人に分かれるが、変えねばと思う人が少なからずいるはず。そうした人たちが次の時代を作っていくことを、投資を通じて後押ししたい。

自分は2年半前から官民連携のインパクトファンドを立ち上げたいという若手たちを手伝っている。社会的インパクトという新しいお金の流れを作ろうとしている。社会的インパクト創出を意図とし、そのインパクトをきちんと測定し、持続的に続かせるために経済的リターンを求めるものとする。お飾り的なインパクトファンドも出てきているので、どういうインパクトを出すのかを見るのが大事である。

特にESGのうちGは、社外役員の数とか女性役員の数など数値化しやすい。EもCO2排出量などと数値化しやすく、「やっている感」を出しやすい。Sは数値化しづらく、企業としても取り組みづらかった。しかし、今回の体験で、Sがまわっていないと、経済に相当なネガティブなインパクトがあることを全ての企業が実感したはず。

確かに、放っておくと、コロナ後は元に戻ってしまう。しかし、我々としてはそれでいいのか。スペイン風邪のモニュメントみたいなものは殆ど存在していないそうである。なかったことにしようになっている。コロナもそれでよいのかが問われる。

銭谷:日本が災難をすぐ忘れてしまうことは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言い回しに現れている。日本は自然の中に生きていた歴史があるからではないか。台風や地震などの災害に見舞われ、そのトラウマを乗り越えない限り前に進めないので、そのことを忘れるというのが日本人の中にビルトインされているのではないか。

また、明治維新、第2次世界大戦後の復興など、日本が大きく変化し、その後成長を遂げられたのも、既存の層がいなくなったから。日本においては、既存の世代が退かない限り新しく生まれ変われないことを歴史が示しているように思う。日本では、多くの大企業の経営層が高齢シニアで、過去の高度経済成長期の成功体験を持った人たちである。新しく、イノベーティブなことをするには、成功体験に基づく考え方を捨て、場合によっては自己否定をしなければならない事が多く、それは大変難しいこと。今回のコロナの件で色々な世代の人と話して感じることがある。自分より上の世代の情報入手といえば、SNSなどは全く使わず、テレビや新聞しか見ておらず、情報が偏っている。アフターコロナについて議論の内容は、20代の人たちのそれと全く違う内容になっている。世代間断絶を感じる。今回が、日本が変わる最後のチャンスと期待するが、一方で懸念もしている。

黒田:チャットボックスに寄せられた参加者のご意見を代読する。「今回、会社は自分のことで精一杯だった。緊急対策本部が立ち上がり、在宅勤務のツールもない中、どうやって人員を確保し、感染リスクを抑えて業務を遂行するかが至上命題だった。今後も当面そうであろう。これが東日本大震災のときと違うところ。思えば、今の緊急対策は、すべて内向きの活動であり、社会に向けた活動が全く入っていない。日本企業が動かないのは、会社の対応マニュアルがもっぱら内向きにしか作られていないからだと思う。そして、コロナ後に働き方は元に戻ってしまうだろう」

現場からの生々しいご意見をいただいた。自分の体験からしても、こうした状況は多くの日本企業に当てはまるのではないかと思う。自分はボードメンバーの一人として、社会のために何ができるかを経営陣に問いかけなければならないと痛感する。

最後に、別の参加者から、「ステークホルダー資本主義やESGの議論が浮いた話に聞こえてしまうのは、何を手放すかについての明確なコンセンサスが得られていないからではないか」というご意見をいただいた。ステークホルダー資本主義の加速化のために手放すべきものはあるのかをお二人に答えていただくことで、今日の締めとしたい。

渋澤:自分は会社で宇宙人と呼ばれていて、常に浮いた話しかできないのだが(笑)、トレードオフではないと思う。命か経済かのどちらかではなく両方が大事であり、「か」ではなく「と」である。あえて手放すことは何かといえば、銭谷さんのご意見と重なり、過去の成功体験だと思う。それを手放し、過去にとらわれなければ、色々なことができるはず。

銭谷:会社の経営をするにあたって、全てはできないので、優先順位付けは常に必要である。それが何かは企業によって異なるが、その優先順位を、経営者だけでなく皆が見ていることを今の時代は認識すべきである。結果としてあるべき方向にシャッフルされていく。閉じた議論で、経営戦略の優先順位付けが間違ってしまうことの無いように期待したい。

黒田:望むべき未来に向けて企業や社会が動いていくように、投資家であるお二人の益々のご活躍に期待したい。今日はありがとうございました。

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